「知識」「常識」が必要ない!と言い切れるわけ

ネガティブ思考って誰にでも出てくるもの。

 

ただ腰が痛いだけで

 

「なにか悪いのかな」

 

「骨に転移したのかな」

 

「再発かな」

 

「どうしようそうなったら」

 

「きっとこの痛みはそうに違いない」

 

「検査してもらったほうがいい?」

 

「どうしようどうしようどうしよう」

 

とか暴走したりする。

 

でも実際は単なる運動不足で腰が痛いだけだったりする(笑)

 

どうしてそんな不安になってしまうのか。

 

「がんは再発する」

 

「がんは転移する」

 

「それは誰にでも起こることである」

 

「一度がんになってしまったら再発の不安からは逃れられない」

 

とかいろいろ社会で共有している

 

「知識」「常識」

 

があるからです。

 

長年大人をやってるんです。

 

みんなそれなりにありますよね、「知識」「常識」。

 

でも、もしそのまっとうで、正しく見える「知識」「常識」が私を苦しめるのなら、

 

私は「知識」も「常識」も要りません!!と思っています。

 

しょせん、「知識」も「常識」も記憶でしょ。

 

他の誰かにとってはその「常識」と「知識」が真実なのかもしれない。

 

みんな、なにを信じようが、それは自由でしょ。

 

でも私にとっての「真実」は私が決める。

 

決めていい。

 

と自分に許しています。

 

誰かが、世間が、データが、どんなに正しく見えたとしても、

 

私は自分が決めた「真実」のほうを選ぶ。

 

自分の心が信じたいことを信じていいのです。